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見境ないオタク

アニオタ・ドルオタ・腐女子という三重苦と共に生きています

昔のバラエティは良かった、今のバラエティはつまらん論(27時間テレビ編)




どうもこんばんは。お酒が入っています。饒舌ならぬ饒筆です。たぶんこんな言葉はない。

今、世のHey! Say! JUMPファンが待ちに待ったFNS27時間テレビが放送されております。ど田舎の我が家でも例外なく見れます。うれぴよ。

ツイッター27時間テレビなどと検索すると面白いって人と何やこれつまらんって人が半々、いやつまらんって言ってる人が多いのかな。
正直jumpオタとしてはちょっと悲しい〜〜!

なんか最近、「最近のテレビつまらなくなった〜〜」とか「昔の方が良かった〜〜」っていうのよく見ます。ちょっと嫌な言い方するといわゆる懐古厨っていうのかな?知らんけど。
バラエティに限なくてもドラマでもアニメでも昔を懐かしむ人結構いますよね。

そんでテレビのバラエティにおける懐古する心理について考えた〜〜のだ!

先に言っておくとわたしは27時間テレビとか深夜の24時間テレビの感じ結構好きです。
マイクの音量ガタガタでテンションだけでくだらない感じ結構好き。たぶん何も考えないで見れるからかな〜〜今お酒入って完全に頭ふわついてるけど面白い。ふわついてるから面白いのか?んん?

昔を懐かしむ人達って、昔の、自分が子供とかだった頃が面白かったって思い出があるからそう思うと思うんですが、
わたし的に単純に年とるにつれて思考変わっただけだと思うんですよ。思考っていうか視点?嗜好?単〜純〜に〜


わたしは小学生くらいの時ってなんかよくわからんけどテレビのめちゃめちゃ笑ってる人たちを見て一緒に笑うって作業を通して、自分が面白いものを見てるって思うようにしてた節があるんです。なんか訳わからんものをみてるけど、一緒に笑うことで、テレビの中の大人たちと嗜好を同じにしてると自分で自分を錯覚させて背伸びする的な。わたしはね。

だから昔の何が面白かったかって聞かれたら特に何も言えないんですよ。でも何となく昔のテレビが面白かった記憶はある。大人ぶりたくて自分で自分を騙してた節があります。

その大人ぶるってのがミソやと思うんですけど、27時間とか24時間のバラエティって独特な感じがあると思うんです。言うなればすべらない話的空気。





すべらない話とナマバラエティ


太字とか使ってみました。

すべらない話って、協力し合うバラエティだと思うんです。他のバラエティが例えば自分が突出してウケを取っていくものなら、すべらない話は自分をウケさせてもらって相手もウケさせる。ギブアンドテイク。

すべらない話っていう企画に集められた芸人さんたちはいわば「同じプレッシャーを背負う仲間」になってる感じがします。
すべらない話をしなければならないという状況をクリアするために「すべった」という判断を視聴者・観客にさせない必要がある。「すべった」反応を周りがしなければ例え話がすべっていてもそれはすべらない話になる。
松ちゃんが話の後に言う「すべらんな〜〜」に周りも「すべらんな〜〜」と同調するアレによって、何周もするサイコロで出た人が話す内容が絶対にすべらないという、普通に考えればなかなかに難しい画が松ちゃんによって成立しているんだと思います。

一人でテレビで見てて、ちょいこれあんま面白くない話やな、と思っても"あの"松ちゃんが「すべらんな〜〜」と言うことで、その話をつまらんと思うことを野暮だと思わせる効果があると思います。笑いという世界で松ちゃんに一定の地位と信頼があるからできること。

例えば司会が松ちゃんではなくポッと出の無名な人だったとして、その人がすべった話の後に「すべらんな〜〜」と言っても何の効果もないと思うんです。いや今のはすべったやろ、てなる。と思う。

松ちゃんの「すべらんな〜〜」が成り立つのは、笑いを見る番組において、松ちゃんの価値観がブランド力を持っているからではないでしょうか?それが松ちゃんの価値観を理解することができる視聴者のブランド力につながる。



27時間や24時間のナマバラエティでも、すべらない話のような助け合いを感じます。
生放送で、編集訂正ができないというプレッシャーを出演者全員が負っているため、ネタの後の沈黙やどスベりというどうしようもない放送事故が起こらないようにお互いがカバーし合う、誰も大して面白いこと言ってなかったり盛り上がり点がなくても全員で爆笑することで、さも番組が面白いように協力して作りあげているようなそんな感じ。がします。


子供の頃のわたしが24時間の深夜帯や27時間が面白いと思ってた理由の一つは、そういった雰囲気に単純に飲まれてたからだと、思います。斜に構えて見るということを知らなかっただけです。
テレビの中の人がゲラゲラ笑ってるからこの番組は面白いんや、面白いと思うこと・そう思ってるように見せることが、周りにバラエティが分かってるというアピールにつながる、という「大人のする笑いがわかる自分」を作り上げてたのです。昔のわたしは。


しかしちょっとババアになってこういった助け合いナマバラエティを見ると、薄ら寒さを感じる瞬間がある。「すべってる」ってことに気付いてきちゃう。その気付きが、最近のバラエティはつまらなくなった思考になって、漠然とした面白かったという感情の思い出しかない昔の気付きがない状態で見てたバラエティを神格化しちゃうのでは。出演者に同調して面白いと思っていた昔の同企画バラエティをそもそもめちゃめちゃ面白かったと思ってしまう。

つまらなくなったと思われている企画、実際はやってることそんな変わらんのじゃね?と何となく思います!見返して比較する気力はないのでテキトーですが!

正直ガキ使とかも言ってしまえばタレントとタイトルのブランド力で支えられてると思うんです。ダウンタウンとココリコ、邦正というそれぞれ笑いという点でブランド力を持った人達が、わりと歴史あるガキ使というタイトルの看板背負った番組に出る。年に一度ってのもブランド力上げる効果がある気がします。ガキ使の絶対に笑ってはいけないという番組そのものがもう一つのブランドになってるのでは。

いや、ガキ使は面白い。面白いと思っている。マジで。でもガキ使を見るわたし、ガキ使を面白いと思うわたしを形成する役割も果たしている気がする。

27時間とかの最近のバラエティはつまらんけどガキ使は安定で面白い、て言ってる・思ってる違いのわかる自分を形成してる的節もある気がする。


ツイッターなどで27時間が叩かれるのは、27時間自体にブランド力が足りていないからだと思う。なんでブランド力を得られないのかはわからない…なぜだ…きになる…。でもとにかく27時間テレビが好きと言っても得られるプラス評価が無いと考えられているのでは無いか。むしろ、最近の人は27時間テレビをつまらないということの方にブランド力を見出しているのでは。

バラエティやドラマの視聴率の落ち込みや災害などでの報道に対する批判から、メディア業界を嫌う方にブランド力を見出す人が増えている気がする。メディア業界に不信感や見切りをつけることの方が最近ではイカすと思われる、的な!

そもそもあれですよ、みんながつまらないつまらない言うからつまらない気がするってのもあると思います。
ツイッターなんかで、さっきの「気付き」の視点を年をとることで手に入れた年代の人達がガンガンつぶやく訳です、つまらんって。するとそのつまらんってつぶやきを見て、「つまらんって思ってる人多いやん〜〜前よりつまらんって意見めっちゃ見る〜〜」てなります。「ってことはこの番組つまらんのか〜〜」ってなります。そして、「気付き」を得ていない人たちが背伸びする先が「つまらん」という姿勢を見せることになる。


でも「つまらんって意見」を以前より見る理由って、そう思ってる人の数増えたってより、その意見をめちゃくそお手軽に発信できるようになっただけなんですよね、多分。

思ってても友達と言い合うだけだった愚痴が、ブログで全世界に公開できるようになって、そして不特定多数の人にキーワードさえ入れればそれに関わる発言を一気に一瞬で見られるツイッターをお手軽にできるようになった。得られる情報が、増えただけでは。

例えがあれですが、地震だって最近すごく増えてるように思うけどきっとツイッターで小さな揺れの情報もリアルタイムで簡単に見られて、計測器も発達して観測できる地震の量も増えた。今まで気のせいだとか気付かなかった地震を文字でありありと知ることができるようになったから増えたように感じる。って思います。



酒が回って何が言いたいのかミリもわかりません。ヤバい。

多分わたしが言いたいのは、最近のテレビがつまらなくなったっていうより、そもそもがこんなもんだったんだけど、面白くない部分があるってことに年とって気付いてそれをネットで簡単に言えるから、テレビが一気につまらなくなったように思う…ていう感じ…

あれ、そんな面白くないな、って思い始めたタイミングの世代とツイッターとかのSNSが充分に普及した世代が合致して、その世代の意見がめちゃくちゃ主流のようになってる…ていう感じ…

だから多分だけど今も昔もバラエティの根本はそんなに変わってないと思う…ていう感じ…?

自分でも何言ってるのかわからなくなってきた…本棚に作ったJUMP神棚に貼られたポスターのみんなが微笑みかけてくれている…歯ブラシ持っててかわいい…

とりあえずキスブサといたジャンのコラボ見逃したくないので寝ます〜〜眠い〜〜

明日も元気にバイトだ〜〜!!ムキムキ!おやすぴ!