見境ないオタク

アニオタ・ドルオタ・腐女子という三重苦と共に生きています

わたしのクソ陰気な半生の備忘録




大学卒業までのカウントダウンが始まり最後の夏を迎えた訳ですが、この頃になると就活などを通して自分の人生を振り返ることが増加。

面接やESで「今までで経験した挫折」について聞かれることが多くありましたが、「わたしの人生順風満帆だしな〜〜挫折とかマジで一つもねえな〜〜マジ上手いこといってるもんな〜〜」と逆に頭を悩ませるほどおめでた野郎のわたしでしたが、冷静に考えると割と挫折に塗れた人生だった。挫折っていうか負の念?的な?

今回はわたしが自分の人生をちょっと振り返るわたし自身の記憶整理というか、思い出清算の場にしたいと思います。かなり卑屈。しかもアホほど長い。ジャニーズでもアニメでもない話でごめん…興味本位で他人の薄汚れた過去を読んでみるのもオツだと思うよ…


わたしの父は3人兄弟で、母にも姉有り。そしてそれぞれに子供が二人ずつ以上いて、結果的に私のいとこは7人。多いのか少ないのか世間的にはわからないが、小・中学生時代のわたしは、まーこの7人を恨んで過ごしていたと言っても過言ではない。

簡単に言うとそれぞれの家庭のいとこ達は剣道・体操・テニスで全国レベルの選手だった訳です。大会シーズンになるとみんな全国各地で開催される大会に出場し、それぞれ何らかのトロフィーを持って帰ってくる。そしてそれを喜ぶ祖母を毎年苦虫を噛み潰すように見ていました。

お盆や正月はまさに地獄で、いとこ達がそれぞれ今季の大会での成績を報告する訳ですが私たち兄弟にはそんな報告するようなことは一つもない訳です。
もちろんいとこ達が私たち兄弟と違って日々血の滲むような努力をしてそういう結果を得ていたのは心の中ではわかってたんですがまあ認めたくなかった。

当時わたしは本当にありがたいことに両親に大量の習い事に通わせてもらっていたこともあって、しかもいとこがガンガン強かったテニスもいとこと同じ教室に通ってたこともあって、申し訳なさとめためたのプライドが混ざってもう本当なんで生きてるんやろって思うこともありましたね。わたしがたまに貰ってくるピアノや書道の背の低いトロフィーなんか誰も注目しない訳です。普段から高層建築物のようなめちゃデカいトロフィー見てたらまあ仕方ないことですがね!でも当時のわたしは死ぬほど悔しかったの!


今でも忘れられないのが、たまたま書道でデカめのトロフィーをゲットして、それを学校で貰って意気揚々と祖母の家に帰った時(当時わたしは親の仕事の関係で中学からは祖母の家に帰宅してた)。
割とデカめの箱をもって帰ってきて、最初は祖母もちょっとは驚くだろう、なんて思ってた訳です。でも「でも一番じゃないんでしょう?」の一言で完全にメンタルやられましたね〜。
いや確かに一番じゃねえけど!ねえけど!みたいなウォォォォテメェェェェェ!!という感情と共になんか無性に泣きたくなりました。
その場では「いやそれ言ったら元も子もないやろwwwwwちょっとは褒めるとかあるやろwwwwwwww」みたいなことを言って別に凹んでないですよアピールをかましてましたが流石にグーが出そうになってました。


そんなこんなの出来事がありつつ斜に構えたクソ生意気なガキが完成していきました。 
今だから言えるのは、この状況は他でもなくわたしが悪かった。あたかも周りだけ上手くいって自分だけ不当に見下されてると思ってたけど、そりゃ毎日遅くまで練習してる人たちと毎日おやつに納豆かけご飯食べてゴロゴロしてたわたしがそもそも同じ土俵にはいなかったの。ただ、それに気付けなかった。クソ生意気なガキだったから…!


そんなわたしが当時心酔してたのがマイケルジャクソンでした。
元々母がマイケルの超超超超大ファンで、もう本当死ぬほど好きで大丈夫かってくらい好きで、それが上手い感じに遺伝してわたしも小学生の頃からマイケル狂でした。

一度小学生の時に、マイケルジャクソンが好きなんよねってクラスの子に言ったら、その時ちょうどマイケルの裁判がワイドショーなんかで取り沙汰されててもう友人から非難轟々で、「テメェこのクソマイケルのステージ見たことないくせに適当に犯罪者呼ばわりしやがってこのヤローーー!!(自分もステージは見たことない)」と憤慨しそれ以来あまりマイケル好きだってことは外では言ってませんでした。


時は流れて小学五年生、当時ずっと通ってた水泳教室をやめるか、となった時。結果は出せなくても一度始めた習い事を長く続けることだけが取り柄だったわたしは、ここで水泳をやめることに対して謎のプライドが邪魔をして渋ってました。まあ生理が始まって通えなくなる分の月謝が勿体無いってだけで続けようと思えば続けることもできたけど、そこまでの執着もなくただプライドだけが邪魔してただけの甲斐性なしだったんですが。

そこで同じスポーツクラブにその年から併設されたダンス教室に目をつけたわたし。見逃しませんでしたぞ!すぐにわたしは水泳の代わりにダンスを始めたいと母に言いました。母にも周りにもダンスを始めた理由は「マイケル好きだからわたしもあんな風に踊りたい」。幾人かの友人にもそう言っていました。でも実際は、いとこ達が絶対に同じ土俵に入ってこないことを始めたかった、ただそれだけだったんですね。

つまりわたしはいとこ達から逃げた訳です。日々努力を重ね、然るべき結果を得てきた彼ら彼女らが見向きもしないところに逃げて、あわよくば結果を残したいと思ってた。これだけは勝てるってものが欲しかっただけでした。クソ甘い考えでした。


その時わたしは結構グレてきてて、大会云々よりも運動会や持久走大会ででも露骨にある彼ら彼女らとの差にウンザリしてきてました。体育の時間ダッシュしてるのに「本気で走れ!」と檄を飛ばされたことあります?「安定感なさすぎて雲の上走ってるみたい」って言われたことあります!?運動音痴つらすぎ!
周りの親戚たちは「あんたはお喋りで明るくてそこが一番よ」なんて言ってくれてましたが、当時のわたしとしてはバカにされてるとしか思えなかった。運動神経ないけど陽気な子って評価が悔しくて堪らなかったのです。その陽気だと思ってるわたしがいとこ達を憎たらしく思っていて剰え消してしまいたいと思ってたことなんて知らなかったと思います。知らなかったと思いたい。アーメン。

そして勢いで始めたダンス。正直ダンス自体にめちゃくちゃ興味を持って始めた訳ではなかったのですが、始めてみたら意外にハマってきた。今までしてきた習い事で、例えばテニスでも、ある程度打てたらもっと回転だとか角度だとかその先をストイックに考えなかった怠惰の極みのわたしでしたが、ダンスだけは謎に向上心がメキメキ出てきました。メキメキ。メキメキ!

その向上心ていうのも、クソガキ的な思考で「あいつにできて私にできないはずがない」というとんでも自意識過剰な考えでとても人には言えないものでした。なんという驕り。
でもそれのおかげでわたしは少し努力ということを知ったのかな〜と思います。まあその時の原動力は「来週レッスン行ったらあの振り一番上手く踊るのはわたしだから!おまえら羨望の眼差しをわたしに向けろ!来週が楽しみだ!」というクソ性格悪い感情だったのでやっぱわたしは昔から性格が悪かった。

そして中学入学。入学と同時にダンスとテニスを辞めました。わたしは部活で輝くんや、と信じてたからですね。

しかし入部して一月もせずに吹奏楽部を辞めました。何が嫌とか誰が嫌とかそういうことじゃなくて、ただしっくりこなかった。その吹奏楽部を辞めてから、一月近く学校を休みました。学校には感染性胃腸炎が悪化しただのなんだのと言ってましたが言ってしまえばズル休みってやつですね。

なんかもう本当に何もかもがどうでもよくなってた。なんかの勢いで自分死なねーかなとか思ってました。家から一歩も出てないのに自然に死ぬなんてほぼねーよ!!て今思えば気づきました。でも当時は本気で死ぬしかないと思ってたんですよね〜。
別に何かに決定的に挫折した訳でもあからさまに人に嫌われた訳でもなかったけれど。謎い。

多分焦ってました、部活でキラキラしようと思ってたけどただしっくりこなかっただけで出鼻挫かれて、これから何をすれば自分が他と比べて確立していけるのかわからなくなって焦ってたんでしょう。メンタル絹ごし豆腐か。

部活を辞めて何もなくなって引きこもりだして本当に毎日死にたいな〜と思ってました。うっかりカッター持ってみたりもしたけどまあラッキーなことに死ぬ度胸もなくムキムキ健康に過ごしてました。でも結構その期間わたしより母のメンタルがきてて、今思えば本当に申し訳ない思いです。

学校に行くきっかけって一度休んじゃうとなかなか掴めないもので、いつも心に陰鬱暗状態でも学校そろそろ行かんとヤバイなって冷静になる瞬間、「でも正直もう学校行ってもいいけどどのツラ下げて教室入るん…」という状態になってグルグルしてるとき、わたしを学校に行く気にさせたのが祖母でした。

突然うちに来て、家で飯食って寝てるだけのわたしに「これあげる」とお小遣いを渡してくれたのですが、まーその時クソガキでいつも心に陰鬱暗のわたしは完全にバカにされてると思ってしまった。今まで何かしらで細々した賞をゲットしてきても褒めてもくれず、いつも出来のいいいとこはちやほやしてた癖に、引きこもってるわたしになに万札なんてくれてんの?金で機嫌がとれると思ってんの?とハラワタ煮えくりかえる思いでした。なんて捻くれたガキなんだ…。バーちゃんほんまごめんな…。

でも結果として「こんな同情かまされる位ならさっさと学校行った方がマシやな」となった訳だったので祖母の思う壺だったのか…。結果金で機嫌が取れた孫という形に落ち着きました。



しかし学校にヌルっと戻った後も部活に入ってない人なんて本当に少なくてわたしはやけっぱちの思いでダンスをまた始めました。辞めてた期間約2ヶ月。秒で舞い戻ってきました。
学校では一瞬軽くクラスの大半の女子に謎に総シカトかまされたり諸々はあったけど大したことなかったですね。昼休みの鬼ごっこ断っただけで総シカトはアホやろと思ってたし仲良い子も少しはいたのでチョロかった。というか「あんたシカトされとるで大丈夫か」と心配して言ってきてくれた子のおかげでシカトされてる事実に気づく位にはヌルいものでした。フハハ。元気っ子め。鈍感バカをなめるなよ。


中学時代は本当にダンスだけが楽しかった。2年生位からは友達も増えてそれからは学校も楽しいと思ってきたけど、踊ることが楽しくて堪らなかった時期でした。


そしてマイケルジャクソンの訃報。最初朝のワイドショーで見たときには、マイケルの次のツアーへの演出だと思ってました。いやいや嘘でしょ〜と母娘そろって笑ってました。マイケル死ぬ訳ないやん〜〜。でもそれが事実だとわかってもうめっちゃ凹みましたね。わたしより母がヤバかった。そんな凹む〜〜??って位凹んでました。そこから数日我が家の空気は通夜でした。

わたしがダンスを始める言い訳に使ったマイケル、言い訳といえども大好きでした。
彼が亡くなった途端テレビで、マイケル実はめっちゃいい人やった特集!みたいなのが組まれるたび母と「手のひら返しやがってー!!このマスコミがーーー!!!おこーーー!!!」と憤怒の日々を過ごしてました。

そしてマイケルの死をニュースで見るたびに、マイケルは生きてるときも世界を騒がせて死んでも世界に騒がれて死んでもいろんな人の中で生き続けるんやな、と思いました。ポエミーか。でもマジでわたしの中でいまもマイケルはムーンウォークしてるから強ち間違いではない。
そしてそれと同時に思ったのが、わたしは例えば今死んだとして誰の心に残るんやろ、っていうこれまたポエミーな考えでした。今死んだら世界からもすぐ死ぬなと思ったとき、それじゃ困ると思った。他人にわたしという存在を思い知らせたい、そう思ったときに一番身近にあった手段が、踊るということでした。その時からダンスはわたしにとって自己顕示欲の道具になっています。
マイケルの死によってわたしは自己顕示欲を満たすための明確な手段を得ました。




そして高校入学。手堅く普通の公立高校に進学し可もなく不可もなしな学校生活を送りました。とても平和で楽しい日々。書道部に入り、そこで筆を持ちながらお菓子を食べ、何も書かずにお菓子食べて帰宅みたいなこともしばしばなユルユルの部活でエンジョイしました。放課後ティータイム
書道部にも関わらず同い年の部員で日舞とバレエとヒップホップを踊れる人がいるというある意味キセキの世代的書道部でパフォーマンスしたりお菓子食べたりお菓子食べたりして楽しく過ごしました。楽しかった…。めちゃくそ楽しかった…。

学校では書道部でしたが、ダンスもスタジオで続けてました。自己顕示欲に目覚めてからダンスが違った角度から楽しくて仕方なくなってました。今までは振りを覚えて踊るだけだったのが、わたしが一番やろ!わたしを見ろ!こんなサイコーのわたし見逃すなんて世界の重大な損失やぞ!の一心で踊ってた。なかなかにクレイジーだったかも。

この頃のダンスは、わたしをわたしの思うサイコーの人間に見せる手段でしかなく、踊ること自体の楽しさからは離れて行っていたかもしれません。



高校三年、受験シーズンとなり忘れかけていた嫉妬心が舞い戻りました。カムバ〜〜ック。年上のいとこ達はいわゆる東京の有名私大に進学していて、わたしも負けじとそっち側に行こうとしました。そうは言っても幾分ランクは下の大学で。

にも関わらず普通に受験失敗。第一志望に落ちました。落ちたその日はさすがに鉛筆をぼきぼきに折って床にビターーーーン投げつけて泣いて不貞寝しましたが起きたら何てことありませんでした。だって大学自体に執着はなかったから。ただいとこに追いすがりたいだけの受験で、それに失敗した、それだけのことでした。

なんかもうこの時さっぱりしました。追いつきたいとか見返したいとか最早そういう位置にいとこ達は居ないってようやく気付いた的な。


そしてそうこうしている内に大学生。わたしは相変わらず地元の国公立に進学。でもまあ入ってみるとやっぱり楽しいわ田舎でも。学食が不味くても。楽しいー!!
大学ではダンス部に入り、それはもうガツガツ踊りまくった。憧れの先輩にメロメロしながらガツガツ踊りまくった。青春の一言に尽きます。

ステージの時はお得意の自己顕示欲が発動して、全員わたしを見ろ!わたしだけを見ろ!!て顔で踊ってました。なんか地元ではすごい有名なダンサーに初対面で「踊ってる時の顔の気迫がすごい」と言われるくらいには顔がヤバかった。あれこれdisられてたのか…?2回目会った時も相変わらず目つきやべえなと言われました。

相変わらず今でもダンスはわたしにとって自己顕示欲の道具です。でも最近は一人で家にいる時に、振りを作るわけでもなく適当に踊るのが楽しいと思えてきました。ちょっとはダンス好きですって言える感じにはなったかな〜〜。


そして就活を経ての今。地元に残って生きていくことになりそうです。件のいとこ達はいわゆる大企業に就職しました。正直、就活始まった時、これがいとこ達に追いつける最後のチャンスかもしれないと思いました。都会の大企業も勿論ちょっと考えました。でもまあ結果わたしらしいんじゃないかな。高校時代までの自分だったら都会に行く1択だったと思います。

でも大学で地元も意外といいとこやん、と思えるようになったし、沢山の程よいクズと出会って仲間になってウェイウェイな日々です。クズは仲間。皆兄弟。クソ田舎だけど楽しいぞ!


本当いとこ達への並々ならぬ嫉妬心が消えたのはここ数週間のこと。今までバカみたいに嫉妬心燃やしてきたけどまあ無駄ではなかったとは思います。負の力を、ほら、なんかこう上手いこといい方向に持っていく、なんて言うんだっけあれだよあれ…。あれです!


挫折とかねえな〜〜と思ってたわたしですが多分あれですね。人生に対する期待値が徐々に下がってきたというか、大人になったというか、ドライになったというか、記憶力がないというか…。



今日母と家に二人きりで、その時母から「割と大人になるまでアイドルになりたかった」発言を聴き、血は争えないを再び実感しました。アイドル…いいよね…。

母は高校卒業と同時に地元企業に就職。県どころか市どころか生まれ育った町での勤務となって、ここで生まれたわたしはここで死んでいくんだな〜〜、と今まで自分の未来が無限大で何になるかもわからないし何にでもなれると思っていたけど一気に現実が見えて、50年先の自分が見えたような気がしたと言いました。
わたしは母に「それな」と一言返すのみでした。


オタク活動以外のわたしの思い出を清算するとこんなものです。こう見るとやっぱり汚ねえ感情に塗れた人生。でも今はこんなにクリアターンプリンセスヴェールなわたし!潤いのえがおだよ!ハッピーハッピー!

本当今回はオチもクソもないけど、自分の人生見直したいな〜〜と思ったらこの記事を読み直そうと思います。正直読み返したくもない。

今後のわたしの人生がいい感じに幸多かれと願いつつ〜〜アーメン〜〜!