見境ないオタク

アニオタ・ドルオタ・腐女子という三重苦と共に生きています

同担拒否に関する個人的考察

わたしの近年の疑問トップテンに常に入る問題がある。



同担拒否とは






わたしが好きなことといえば悶々と考えることくらいなので、同担拒否についても暇があるときにはよく考えていたがさっぱりわからんス。
同担拒否について色々聞きたいのだが残念ながらわたしの周りに同担拒否は見当たらない(はず)で聞こうにも聞けない。悶々。モンモン。

私は手遅れなHey!Say!JUMPオタクなので例として挙げるのも勿論彼らなのだが、
ツイッター大好きおばさんこと私はほぼ毎日彼らの名前をツイッターの検索欄に入力して情報収集をする。そしてその際よく見るのが「同担拒否」である。


私は妖怪私の沼に引きずり落としてやるモンスターなのでもう同担拒否とはほぼ真逆であると思われる。
正直自分には同担拒否みがミリも無いので同担拒否が実際どんなものなのかは詳しくはわからない。
そんな私が無理矢理字面とツイッターのみから同担拒否について考える。



私なりに「同担拒否」の部族分けを試みると、
・私だけのダーリン族
・同担のにわかはすっこんでろ族
・同担の顔ファンはすっこんでろ族
・頭ではわかってるけどごめんね無理族
といったところに分類できた。


「同担拒否」とは見て字の如くで私と同じ人を好きにならないで!的アレだと思われる。
同じ同担拒否でも、
・私だけのダーリン族
・頭ではわかってるけどごめんね無理族
・同担のにわかはすっこんでろ族
・同担の顔ファンはすっこんでろ族
では捉え方が全く違うのではないか。



まず前者のダーリン族は、同担拒否の担対象を「1人の男性(女性)」として捉えているのではないか。
簡単に言うと、私の好きな人を好きにならないで、であるがそれではただの同担拒否そのままである。
例えば自分の彼氏(彼女)を好きになられるのは嫌、自分が片思いしてる人を好きにならないで欲しい的なアレだと考えられる。

このダーリン族が他と大きく違う点は、担対象と自分とを同じフィールドで見なしている点である。アイドルである担と自分を一対一と見ることで同担に対して略奪的、不倫的、浮気的な嫌悪感が来ることからこのような拒否が見られるのではないだろうか。




同じく前者の頭ではわかってるけどごめんね無理族は、上記のダーリン族とは対象的に担をアイドルとして、つまり自分の手の届かない違うフィールドの人間としての認識をしている。

担対象が万人に愛されるアイドルなのはわかっているけど、別に自分だけのものじゃないのもわかってるんだけど、なんか無理という具合ではないだろうか。
複雑な乙女心が招くタイプの同担拒否である。









後者は共通してすっこんでろ族なのであるが、すっこんでろする対象の違いである。

同担のにわかはすっこんでろ族は文字通りにわかをシャットアウトする族である。

何らかのきっかけで分かりやすく日の目を見た人物が生まれると発生しやすいのがこの族ではないだろうか。
このにわかシャットアウトはさらに分類され、
・増えすぎる同担への牽制
・ちょっと有名になっただけで食いつきやがって
・こちとら長年応援してきとるんやぞ
など様々見られる。

このすっこんでろ族は厳密に言うと同担拒否とは限らない。
にわか全体を拒否する派と自担のにわかを拒否する派に分かれており、前者は同担拒否とは言えないがここでの言及はとりあえず置いておく。


最後に同担の顔ファンはすっこんでろ族。
そもそも顔ファンとは。容姿に惹かれたファンを指す。
その顔ファンを拒否するという心理は、
 ・中身も知らない癖にファン名乗ってんじゃねーーーーーよ!
・私は顔じゃなくて中身が好きなんです一緒にしないでください
的な感じだと考えられる。

この顔ファンすっこんでろ族自体も同担拒否とは限らず、顔ファンそのものに対する拒否を見せる派と同担の顔ファンのみ拒否する派がある。




この、ダーリン族・ごめんね無理族と、同担のにわか・顔ファンすっこんでろ族の同担拒否は拒否の理由が全く異なるのではないか。


前者のダーリン族とごめんね無理族は、愛の大きい担への拒否反応である。言うならば、因縁のライバル的な拒否反応ではないか。
ダーリン族に見られる、私が好きな彼を好きって言わないで、という感情は、自分がアイドルと同じフィールドにいるとしていると同時に拒否する担も同じフィールドに上がらせていることになる。

実際アイドルと付き合うようなガチの同じフィールドの人物は同担(ファン)をライバルだとは思わないだろう。自身が他の大勢のファンとは違うフィールド(アイドル側の)にいることを自覚し、ファンに対して嫉妬することなどないはずだ。


ダーリン族は自分をアイドルと同じフィールドに置きながらも、内心では自分もファンの一人であることを自覚していることから同担に対する拒否が発生すると考えられる。
つまり、拒否反応が出るということは拒否対象も同じフィールドに置いている。担に対する愛情も同様同じフィールドと見なしていることから、拒否はしていながらも無意識にファンとしては認めているはずなのである。

ごめんね無理族も、ダーリン族ほどはっきりとした感情が見えないにしてもファンとしては拒否対象を認めているとの側に分類できると考える。




対して後者のすっこんでろ族は、愛の小さい(と考えられる)ファンへの拒否反応である。
好きになったのが最近?どうせすぐ飽きるんでしょ?的、顔が好きなの?どうせ顔しか見えてないんでしょ?努力とか見てないんでしょ?的な感情は前者とは異なり、拒否対象をファンとすら認めていない節すらある。
すっこんでろ族は拒否対象を同じフィールドには置いていない。自分たちと同じファンとは呼びたくないとるに足らない不愉快な対象としての拒否反応が現れている。



同担拒否という枠組みから外れたところでも
にわか・顔ファン拒否はよく見られる。
それとはまた逆ににわかや顔ファンを良しとし、受け入れるファンもいる。



同担拒否について考えるとファンの心理についてもっと考える必要があると感じた。










アイドルとは。宇宙のような広がりのある言葉だ。どれだけ考えてもアイドルへの関心は尽きない。


大衆に自身の身を提供するアイドルとそれを享受するファン、彼ら彼女らをアイドルたらしめるものは何か、何が彼ら彼女らをアイドルにさせているのか、考えれば考えるほど尽きない。噛めば噛むほど味の出るあたりめのような存在。アイドルはあたりめだったのだ。


一部のファンに石投げられそうな内容になったが、それでも私はアイドルについて悶々と考えることをやめない。モンモン。